インタビュー第3回・モスクワ三井物産有限会社 蒔田基生さん<1>

インタビュー第3回
モスクワ三井物産有限会社 資源・エネルギー課 蒔田基生さん1996年度卒



■「ロシアでビジネス」――高校時代からの夢でした。

――まず学生時代のことからお聞きします。どうして露文を選ばれたのですか?

僕は小学校の高学年の時からアメリカのロックが好きで良く聞いていたんです。その影響で中学・高校と英語がそこそこできて、外国に非常に興味があったんですね。それでその頃から何か外国に関わる仕事がしたいと思っていました。高校2・3年生になって大学を選ぶ時に、ではどの様に外国で仕事をしたらおもしろいかと自分の中で考えたんです。当時、ペレストロイカ、グラスノスチときて、1991年にソ連が崩壊した。ロシアが市場経済に移行するんだってう、高校生ながらロシアでビジネスをやったらおもしろくなるんじゃないかと思ったわけです。それでロシア語をやろうと決めました。

――最初からビジネスに興味を持たれたのですか?

偶然、父の知り合いが別の商社さんでロシアに関する仕事をされてて、おもしろそうだよという話を聞いていたんですよ。それで、はじめにロシア語ありきで大学を選んだ。ロシア文学専修(注:当時のコース名は“ロシア文学専修”)を選択するきっかけとしてはかなりレアケースでしょうね(笑)

――では入学後もビジネスをやる」という目的がモチベーションとなってですね。

そうですね、常に頭には有りました。その割には、残念ながら勉強しませんでしたが(笑)。

――そうすると文学や文化に興味があって露文に来た周りの同級生たちに違和感はありませんでしたか?

それは全く無かったですね。やはりロシアでビジネスをやるということは、背景にある文化や思想を知ることも必ず武器になるだろうと考えていましたから。

――露文の授業の中で興味を持たれた分野を教えていただけますか?

ロシア思想史です。当時、高野先生が担当されて
たロシア思想史の講義と、それからハルムスの不条理な小説やゴーラドゼロ』(注:『ゼロシティ』の原題)という映画を取り上げられた講義も面白かったです。不条理をテーマにしたロシア文学と出会ったことは今の仕事にも生きていますよ。ロシア人との付き合いの中で、彼らが不条理な発想も持ち得るということが理解できるんです。ロシア人と付き合う上での自分の中の想定範囲が広がっています。

――なるほど。そうすると露文を経由せずにロシア人との関係に入るのとは違うわけですね。

全然違います。本当に感謝しています。背景にある文化や気質を知ることは有意義でした。卒論も高野先生のお世話になったのですが、ロシアの情報統制に興味があって、ロシアにおける検閲の歴史を調べました。情報統制していたロシアと市場経済に移行していくロシア・・・、政府が全てをコントロールしようとしていたロシアが、今度は経済を始めとして市場に任せる、市場にコントロールしてもらう、全く対照的なところに向かっていく。そのコントラストを浮き彫りにしたいと考えたのです。極端から極端への移行はロシア人の特性のひとつだと思いますが、稚拙ながらも自分なりに大まかな流れを掴んだつもりです。

 

社会に出てからもずっと勉強です。

――卒業されてすぐ三井物産さんに入社されたですか?

はい、そうです。入社したときは、ロシアに関する部署ならばどこ
でも行かせてくださいと言っていたんですが、蓋を開けてみたらロシアとは直接関係ないところでした。金属総括部という管理部署に教育配属され、約2年半、管理の中でも商品先物市場の価格変動リスクの管理業務をしていました。微分・積分等を使って、商品価格変動リスクがどういうものか営業的に分析する部署に配属されたのです。文学部出身の私に、そのような部署の仕事を任せてもらっていいのだろうか、とも思いましたが、会社の懐の太さと理解し取り組みました。結局、私が担当した非鉄金属本部の相場商品のリスク管理の仕事では、本部内で今も使われている大きなシステムを作り出すことができました。その後は、このリスク管理業務での知識を活かして、商品市場で価格の決まるアルミニウムの取引に携わりました。2001年から2004年にかけてですね。アルミニウムを世界各国から輸入するのです。ロシアも今や世界第一位のアルミニウム生産国ですから、当然ロシアからの買い付けも担当していました。ただその時は取引先のマーケティング担当は英語を話せるロシア人でしたので、ロシア語は必要ありませんでした

――日本にいながら、現地と交渉をしていたという事でしょうか。

アルミニウム業界慣習で、海外のサプライヤーが日本に交渉に来るのです。東京でアルミニウムの営業を担当後、僕は名古屋に移り、そこでもやはりロシア製のアルミニウムを輸入していました。愛知県はご存知の通り、自動車産業が盛んですから、そこでロシア製のアルミニウムも使われていたのです。その後、2006年から2007にかけて、相場商品の先物取引の研修のため、ロンドンに8ヶ月、ニューヨークに4ヶ月派遣されました。当社の関係会社にMitsui Bussan Commoditiesという商品先物のブローカーをやっている会社が有り、そこで研修すると共にOJT(On the Job Training)として、ブローキング、商品先物の売買継ぎ業務を担当しました。

――金属や経済のことを勉強しながらですか?

そうですね。正にOn the Job Trainingですが、文学部出身で大学で経済や法律に触れる機会は限定されていましたから、業務時間以外でも結構、勉強は必要でしたね。仕事を始めてからずっと勉強です。人間いつでもずっと勉強なんだと痛感していますよ。今はロシア語のブラッシュアップに励んでます。


初めての渡露、15年のブランクを超えて夢が叶った。

――ロシアへの赴任は昨年(2010年)からですね。ロシアに行かれるのは初めてだったです

ええ、昨年の10月からです。本当に初めてでした。赴任前に色々な方々から冗談混じりに「行列がすごいんだぞ」とか「モノがない」とか脅されていた事も有り、着いた途端、あまりにも都会のモスクワに逆に驚いた、というのが僕の第一印象で。僕の周りに実際にモスクワに行ったことのある同僚が余りいなかった事も、僕がモスクワの現在の姿に驚いた背景のひとつかも知れません。当社には語学研修員制度があって、語学研修1年、現地でのOJT1年、計2年で若いうちに語学を勉強するプログラムがあるのですが、その当時の仕事が面白かったという事も有り、僕はロシアの研修への申請しなかったんですよね。もし行っていたら、また印象は違っていたでしょうね。

――大学を卒業て15年間ブランクがありますがロシア語はそれほど困らなかったですか?

そうですね。日常生活はお陰様で困らずにやっていけてます。ロシア語ができるとロシア人の対応が違いますよね。英語だとどうしてもビジネスライクになってしまう。リラックスすると彼らはロシア語になりますし、ロシア語で話してる方がтоварищи!!って感じでしょうか(笑)赴任前に単語や数字は思い出して行きましたから、お陰様で着いてすぐでも移動や買物には困りませんでした。大学の時って数字のトレーニングをほとんどやらなかったんですけどね、赴任前の高柳先生の授業で数字思い出しました(笑)(注:高柳は昨年、ひょんなご縁で赴任前の蒔田さんにロシア語のリハビリレッスンをさせて頂きました)

――特訓しましたね(笑)

あれは大きかったですね。商売においても普段の買い物でも、数字が重要じゃないですか。数字を思い出して聞き取れるようになったのは大きかったですね。だからすんなりと買い物もできたし、商売での価格の話もいていけました。

――結果として蒔田さんの人生は、高校時代からの夢を叶えたわけですね

ようやく叶いましたね。ロシアでビジネスをやるという当初の目標を叶えた、これには非常に大きな感慨があります。でも逆に、ようやくスタート地点に立ったのかという思いもある。このチャンスを生かして何か自分らしい仕事を見つけることができれば、それでロシアと日本の架け橋になれればと常に思っています。

――あとどのくらいロシアにいらっしゃるご予定ですか?

当社の部門によっても異なりますが、今の所属部門のローテーションですと3-5年、平均4年と言われてますから、あと3年はいるのではないでしょうか。以前は専門家として長い期間いらっしゃる方もいたそうですが、今は色々な人に機会を与えるという事になっており、4年程度が標準ですね。

――現地の事務所の規模などお聞きしてもいいですか?

ええ。日本人は30人、ロシア人が60人くらいです。モスクワにある拠点としては日本の商社では最大規模です。それだけロシアに力を入れているという事です。日本人スタッフは先程言った語学の研修制度を経験した人が殆どで、ロシア人スタッフは現地採用しています。現地スタッフは英語必須、2〜3割は日本語も話せます。ロシア人は物事をハッキリ言うので分かり易く、議論はし易いですね。日本人だと遠慮してしまうことも多いでしょう。その点ロシア人は態度を言葉で示してくれるので非常にやり易い。逆にそれが難しい面もありますけどね、性格もると思いますが納得しないと絶対に動かないとかね。僕のいる部署は今、年下の同僚が多くて、彼らに色々と仕事をお願いする訳ですが、指示を的確に行わないといけません。何でも言ってくれる、何でも態度に出してくれるというロシア人の気質を楽しみながら日々過ごしています。

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