雑誌『青鞜』にみるロシア文学

 平塚らいてうが実質的な責任者となって編集された雑誌『青鞜』は、1911年に産声を上げた。昨年は創刊90周年にあたり、雑誌『青鞜』及び平塚らいてうに関連する研究会等が開かれ、研究書が出版された。今年になって平塚らいてうの生涯を追った記録映画が上映されるなど、ほぼ1世紀過ぎた現在でも関心を呼び、新しい視点からの研究が続けられている。
 
 この雑誌『青鞜』は、積極的に西洋思想を受容しようという姿勢をもっており、翻訳作品を多く掲載し、その中でもロシア文学作品は非常に重要な位置を占めていた。
 
 全52冊中、翻訳が一篇も掲載されていない号は、5巻6号と8号の2号のみで、毎号平均して一、二作品は必ず取り上げられていた。これは同時代の婦人向け文芸誌には見られないことであったことはもちろん、雑誌『スバル』や『白樺』などと比べても決して少ない作品数ではない。
 
 連載物もあるため作品数自体は他の外国文学より多くはないが、翻訳作品の誌面に占めた割合から判断すると、ロシア文学作品が最も多かったといえる。そのなかでも特に注目すべきは、次の作品であろう。雑誌掲載順に述べると、平塚らいてうが英語から重訳したメレシコフスキーの「ヘッダ・ガブラー論」、瀬沼夏葉訳の原語からの翻訳によるチェーホフの戯曲「イワーノフ」、「桜の園」、「叔父ワーニャ」の三作品、そして今回発表する野上弥生子訳「ソニヤ・コヴァレフスキイの自傳」及びアンシャーロット・レフラー著野上訳「ソニヤ・コヴァレフスキイ」である。 
 
 「新しい女」といわれた雑誌『青鞜』の編集部員たちは、積極的に西洋思想を受容し、同誌に外国文学の翻訳作品を数多く掲載した。その中でロシア文学は、どのように扱われていたのだろうか。
 これまで個々の翻訳者及び作品については研究されてきたが、全体として考察される機会が見られなかったロシア文学の翻訳作品について、本研究発表会では概観した。今回は雑誌『青鞜』におけるロシア文学について考察する際に欠かせない、前述の3人の訳者、平塚らいてう、瀬沼夏葉、野上弥生子にスポットを当てた。その際、翻訳者が使用したと思われるテキストやその作品を掲載するに至った状況についても論じた。
 
 これらのロシア文学の翻訳作品は、当時の潮流を先取りする雑誌『青鞜』において、エポックメーキングとなる要素をはらんでいた。平塚らいてう訳のメレシコフスキーの「ヘッダ・ガブラー論」は当時文壇をにぎあわせていたイプセンの作品をめぐる論争に新風を巻き起こし、また瀬沼夏葉訳のチェーホフの戯曲は、新劇ブームを睨んで翻訳され、話題を呼んだ。さらに、野上弥生子訳の「ソニヤ・コヴァレフスキイの自傳」及び「ソニヤ・コヴァレフスキイ」は、雑誌『青鞜』にとって大きな転換期を迎えたときに、連載のスタートを切った。平塚らいてうをはじめ『青鞜』の編集部員に意識改革が迫られた時期であったことは、この雑誌における同翻訳作品の持つ意味を考える上で、極めて重要な事実である。
 
 紙面の都合上詳述できないが、女性たちのための女性たちの手による雑誌『青鞜』という媒体を通じての当時の日本におけるロシア文学の受容の一形態をこの研究を通して知ることができた。                                       

南平かおり(学部1987年卒 修士1993年入学)

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