シベリア紀行

 「タイガーへご案内します」と学長に誘われた。朝晩は零下5度位になる11月の初め、あらかた落葉を終えた沿海州の奥地へ、水流の少なくなった川の浅瀬づたいに二台の四輪駆動車で向った。前の車にはこの地の猟師ニコライ・ニコラーエヴィチが乗り、先導していく。シートベルトを締めている体がまるで時計の振り子のように揺れる。走ること七時間、やっと車を降りる。山登りが始まる。立枯れている老木の太い幹、苔に覆われて横たわる大木、そのそばで育っていく若木、千古の昔そのままだ。ライフルを
肩にニコライが言った。
「このあたりにアンバがいるんです」
「何? アンバ・アンバですか」

 私は感動した。あのデルスー・ウザーラが呼んだアンバ(虎)だ。その呼び名がまだ生きているのだ。

 ニコライは猟師を二十年やっているが、虎とまともに出会わしたことはない。なにかの影がかすめていった気配を数回経験しているだけだ。銃をかまえて対峙できる相手ではない。犬もすくんでしまう。急な斜面を歩むニコライの敏捷な姿を追っていく。ころげ落ちないように、私が潅木をつかもうとすると、「あ、枝をつかんじゃいけない」と叱声がとぶ。見ると、トゲだらけのウルシの木であった。つかんでいたらえらい目にあうところだった。尾根に出た。はるか向こうに山並みが見える。この先は北極まで続くシベリアの奥地だ。ここまで来る間、誰一人とも行き会うことがなかった。

 やっとニコライの丸太小屋にたどりつく。土間には大きな黒い毛皮のかたまりが寝そべっている。昨夜、小屋の裏でとった熊だ。400キロある。目をとじて眠っているような熊の頭を持ち上げようとした手をとめて、前足に触れてみた。かたい鈎爪が足の裏にしっかりくっついている。肉がふっくらともりあがり、こわごわしている。私は、もう大きな体重をのせて歩くこともなくなった本当のタイガーの住人の足とじっと握手していた。やがて、地の果てに夕日が沈んでいくさまが脳裏をかすめた。シベリアは夜になろうとしていた。

2001年1月9日
中村 皓吉(1961年卒ナホトカ大学客員教授)
(《Вести》第16号 2001年5月10日発行 所収)

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