1830年代の自然観

──チュッチェフのсумракを中心に──

 今回の発表では、チュッチェフの詩において重要な意味を持つと思われるсумракという言葉について検証し、また他の詩人の作品と比較しつつ、この言葉に基づく一つの見地から1830年代のロシア文学におけるチュッチェフの自然観の位置付けを試みた。

 チュッチェフの1830年代の詩作を考えるには、詩「灰色の陰翳がとけあい…Тени сизые смесились...」(1831-36)を看過するわけにはいかない。この詩にある Все во мне и я во всем は、この時期の彼の「創作の最も偉大な詩的シンボル」(コズィレフ)とも言われている。主客の二項対立を乗り越えようとする思想は、シェリングの『人間的自由の本質』やノヴァーリスの『断片』にも通ずる。

 まず、着目したのは Все во мне и я во всем という言葉の並び方である。中心にあるのが、я(あるいはмне)であり、 Все( всем )に左右両側から挟み込まれている。さらに、詩全体を見ると、この詩行は2連構成の全体のほぼ中央に置かれている。詩の最初には смесились、最後には смешайがある。つまり、詩を縦方向では、「とけあう」感覚の言葉が詩の前後を挟み込んでいるのだ。このように、詩のほぼ中心にあるяは縦からも横からも同じような言葉で囲まれており、я と всеは「とけあって」いる。

 このとき、詩の中でя を取り巻いているのが、第1連にも2連にも現れる сумракである。こうした自然との合一を志向したのはチュッチェフのみならず、彼と同じくドイツ観念論思想に熱中した「愛智会」の詩人たちがいる。哲学的な思考の共通性や個人的な交際もあって、チュッチェフは彼らと強く結びつけられてきた。例えば、ホミャコフの詩「願いЖелание」(1827)があるが、ここでは сумрак は単なる背景として使われているに過ぎない。チュッチェフは сумрак を、夜に対する彼独特のアンビバレントな感情(憧憬と恐怖)の克服に使っている。また繰りかえして現れる中でまず視覚と聴覚を( сумрак тихий)、そして風景と感情を結びつける( сумрак сонный)。彼の感情描写の豊かさこそ、「思想」にとらわれ、「感情描写が欠如」(コージノフ)していた愛智会の詩人たちとのちがいである。1830 年代に愛智会が活動していたモスクワから遠く離れ、外交官としてドイツのミュンヘンにいたことも一因であろう。自己の存在を消し去るかのように自然と合一していく様子は、彼らよりもむしろギュンデローデ「黙示録風の断章」(1804)などに近い。こうした自己消去の感覚は、グリンカなど、ロシアの詩人たちの1840-60年代の作品に現れ、彼の作品はその先駆であったとも言えよう。
 
1850年ごろからチュッチェフの描く自然にもリアリズムの傾向が現れてきて、このような сумрак が主題として現れることはなくなる。しかし、彼は突然リアリズムに移ったわけではなく、緩やかな移行が準備されていた。それが詩「灰色の陰翳がとけあい…」をはじめとする1830年代の詩であった。「デニーシエヴァ・シリーズ」など1850年以降の作品に現れる сумрак が、実際の風景の中でжар、знойと対立して二つの空間を作り上げるとき、1830年代の сумрак のイメージに基づいて考えるならば、そこに人間と自然の調和の象徴を見ることができる。

 時代や内容からいって、チュッチェフの詩はロシア詩における(ロマン主義)思想詩からリアリズムへの架け橋であるが、今回取り上げた сумрак は、言葉の意味、使われ方からしてまさにその典型だと言えるだろう。

坂庭 淳史(博士後期課程)
(《Вести》第14号 2000年5月10日発行 所収)

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