文学者の戦中戦後責任

 大東亜戦争中に「詩歌翼賛運動」というものがありました。大政翼賛会宣伝部発行のB6判60頁ほどの仮綴、これが何巻も出されていて、1巻づつの初版が3万部です。扉には「この本をお読みになったら隣組やお友だちに回覧してください。これからは本でも、一冊を十人も百人もで読めるように工夫してください」と印刷してあります。この仮綴の中には当時、詩人として名を知られた人々全員が網羅されています。たとえば北原白秋は《とどろけよ、よろづよの道の臣、大御軍、いざふるへ、いくさびと….》という調子です。佐藤春夫は「大東亜戦争史序曲」と題して《勇猛果敢は相模太郎が膽、神速適確は源九郎が略、日本男子由来たたかひにくはし…》という調子で書いています。
 
 尾崎喜八にも同じような蒼古調の詩があります。《わが戦ふは敵にして、この世にわれをうちほろぼし、地上よりわれを抹殺し去らんとするもの、実に即ちこの敵なり…》云々というものです。草野心平、三好達治、伊東静雄、室生犀星、西条八十、大木惇夫、壷井繁治その他多勢、戦意昂揚のための愛国詩を書いています。金子光晴はどういうわけか戦争中も反戦を貫いた詩人だと伝説になっていましたがとんでもない、しっかり書いています。櫻本富雄氏はこうした詩人たちの戦争中の表現活動を50年間検証し続け、今年5月、青木書店から『日本文学報国会―大東亜戦争下の文学者たち―』という500頁にわたる本を出されています。また昭和30年代には吉本隆明と武井昭夫が、『文学者の戦争責任』という本を書き、当分は戦争中の作品の暴露と責任追及が続いたのですが、やがて「いったい、手の汚れていない者が日本人にいるのか」という論義になり、次第に立ち消えになったようです。たとえば吉川英治はじめ高名な作家の全集から「撃ちてし止まむ」式の作品はすべて削除され、今ではまるでそんなことなんかなかったかのように、隠蔽され、若い人なんかもう本当に何も知らない社会が出来上がっているのです。
 
 さて、尾崎喜八についてですが、彼に親しく接した人を核に構成されている「尾崎喜八研究会」では、彼の詩精神と人格は戦前、戦中、戦後、一貫して変わることがなかったので、特に戦争中の作品が論義されたことはありません。しかし、外部にいくとそうではないのです。たとえば、1992年は喜八生誕百周年でしたが、京都の「ロマン・ロラン研究会」で、鶴見俊輔氏が「ロマン・ロランの革命劇をめぐって」という講演をされました。尾崎喜八は長年にわたってロランと親しく文通をかわした日本人の一人ですから、私は興味を持って聞きにでかけました。
 
 鶴見氏は「ソビエト連邦がなくなった今、社会を作り変えようとする理想そのものが衰えている」と前置きされ、「ロランの日本での人気のピークは大正10 年頃だった。軍国主義になるとロランに魅せられていた社会主義者や自由主義、平和主義者の多くが、軍国主義のもと、思想の衣がえをしていく。尾崎喜八、高橋健二、高村光太郎、倉田百三、武者小路実篤らです。同じ種類の問題を今、我々は持っている」と言われました。私はこの言葉が腑に落ちず、尾崎喜八が戦争中に私が知らない何か特別なことをしたのかと思い、猛然と調査を開始したのです。
 
 敗戦の翌年に、雑誌「文学時標」と「新日本文学」がそれぞれ30名前後の文学者の名を挙げて責任追及をしていますが、両方ともに、尾崎喜八の名はありません。アメリカ占領軍によって公職追放仮指定された文筆家331名も当時の読売新聞で調べましたが、この中にも喜八の名はありません。また、戦争中に長谷川時雨が発行していて、女流たちが翼賛記事を書きまくっていた新聞「輝ク」も調べました。こうした作業を通して解ったことは、現在大作家として通用している人たちの何食わぬ居直りぶり、罪を他人になすりつけ、生まれながらの平和主義者の顔をしている文学者たちのしたたかさです。そしてみずからの罪を恥じて戦後、寒村で自己流謫を生きた高村光太郎や尾崎喜八の名だけがスケープゴートになって残り続けていることです。今になって私は解ります。鶴見さんは、節操のない厚顔無恥なやからは歯牙にもかけず、純粋な人道主義者、純文学者だけを問題にしたのだということが… しかし、後世の人にはそこの処をしっかり伝えて置かねばならぬ、と私はこの問題を扱った第六章に特に力を入れたのです。(戦後、信州富士見で流寓の生活を送りながら、最高の詩集『花咲ける孤独』を完成させた喜八の「詩人」としての真面目と「ただびと」としての懐の広さ深さをここにしるせないのが残念です)。

重本恵津子(1965年卒業)
(《Вести》第6号 1996年4月25日発行 所収)

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