リルケの『マリーナ悲歌』とツヴェターエヴァ

 『ドゥイノの悲歌』Duineser Elegien(1912-1922年)の作者で知られるライナー・マリア・リルケは、もうひとつの悲歌を書き残している。それは、マリーナ・ツヴェターエヴァへ宛てた書簡に添えられていた。リルケの死後約50年──1977年1月になってようやく書簡は公開される。書簡の公開に伴い、ツヴェターエヴァが『マリーナ悲歌』Marina Elegie(1926年)と呼んでいたその悲歌に関しても審らかになる。発表ではまず、この『マリーナ悲歌』の解釈を通してリルケとツヴェターエヴァの詩的世界観の相違を概観し、

次にその考察をもとに、ツヴェターエヴァがリルケの死をテーマに取り上げた作品『新年のあいさつ』 Новогоднее (1927年)に表れる詩的世界観が、ツヴェターエヴァの作品の中では特異なものとして分類されることを指摘した。
 リルケの『マリーナ悲歌』では、あらゆる事物は「根源」から発し再び「根源」へと戻るのであって、「死」や「喪失」も事物が「変容」する一過程にすぎないと詠われる。同様の思想がリルケの他の作品中にもしばしば見出せることからも、これはリルケの創作
哲学を支える思想だと言える(例えば、1906年の作品では、「かつて存在したものは、消え去ったのではなく、変容したのだ」、『オルフォイスへのソネット』第1部-19では、「世界は雲の姿にも似て/すみやかに変化するとしても、/すべて完成されたものは/最古のものに還っていく」とある)。試みに、リルケの世界観を球体に見立てよう。球体の核の部分が「根源」に相当する。「根源」から見えない糸で結ばれた各々の存在は、必ず「根源」を経由して別の場所へと移動する。「根源」で存在はそのもの自身をリセットするのである。いっぽうツヴェターエヴァの世界観は、例えば『山の詩』 Поэма горы (1924年)に顕著なように概して二次元的である(『山の詩』で描かれる空間的な高さと精神性の高さとは比例しており、物質的世界と非物質的世界の対峙が明白である)。上下、右左、天地、善悪、聖俗など、二者択一的な世界の中心に境界が据えられている。リルケの「根源」は、すべての存在を統べる力を有しているが、ツヴェターエヴァの世界観における境界は、どちらか一方を選び取る葛藤の場である。また、選択するということは「所有」の概念へとつながっていく。つまり、リルケは存在を「所有」の概念から切り離し孤独を追求していったが、ツヴェターエヴァの世界観は逆に、「所有」の概念と強く結びついていると言えよう。

 ところが、『新年のあいさつ』に表れる環状の世界観からは、リルケの『マリーナ悲歌』からの強い影響が読み取れる。作品が誕生する背景のみならず、そこに示される世界観からも、リルケを強く意識していることが窺える。
 更に、『新年のあいさつ』以降のツヴェターエヴァの作品をみると、とりわけ「生」や「死」に対する視点の変化に気づく。例えば、『大気の詩』 Поэма воздуха (1927年)。それまでの作品において「死」があつかわれるときは、「生」の対極として、つまり、肉体性から最も離れたものとして描かれてきた。しかし、この作品の主たるテーマである「死」を描くにあたり、詩人はそれを肉体性と強く結び付けている。しかも、決して否定的にではなく。このような点もまた、ツヴェターエヴァの詩的世界観のひとつの転換期にリルケの死や『マリーナ悲歌』があったことを物語っている。

吉見 薫(博士後期課程6年)
(《Вести》第20号 2003年6月1日発行 所収)

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