ペテルブルク、断片。

2003年5月にペテルブルクは建都三百周年を迎える。私は2002年4月から翌年1月末までそこに滞在していた。文字通り、街の至る所で改修工事が行われていた。ドーム・クニーギもペトロパヴロフスク聖堂もスモーリヌイ修道院も、全貌を拝むことはできなかった。到着当時にはなかった車線や横断歩道、信号機などがネフスキイに設置され、ロシア美術館のチケットは小綺麗になり、ついでに私が吸っていたタバコ「ピョートル一世ライト」のパッケージも二月頭から新しくなったらしい。あっは!

 ペテルブルクの蒐集癖。「記憶」に対するあの街の偏愛。これらのことを意識するのに、作家や学者の言を待つまでもない。街を歩けば碑にぶつかる。多種多様な博物館がある。ロッシ通りについてのうんちくを、こっちの理解力を顧みず延々と垂れるおっさんがいる。「無」の上に建設され、有する歴史もたかだか三百年ということを考えれば当然のことであろう。そういった「記憶」を保持しながら新しいものを受け入れなければならない「現代」という状況は、さぞかし難儀だろうな。
 はりぼてみたくなってしまった改装中のクヴァルチラに顕れる苦悩。

 それを眺めながら私は、アヴァンギャルドという芸術運動の勢いをはかってみる。
 知り合いのロシア人に三百年祭のことを尋ねてみた。「いったい誰に跪拝するってんだ?三百年前からあった石を探すのか?今、生きている人間が何をやったというんだ。全部、経済のためのもんさ」。ナイーブな返答。
 ところで、何と批判されようとかまわないが、ペテルブルクとモスクワの差異、それは確かに存在するように思われる。ペテルブルクを示すことばを未だ見つけあぐねているが、モスクワに対しては「いれもの」ということばを与えたい感覚がある。その「いれもの」の中身であるヒトやモノはおもしろいのかもしれないが、それらは「モスクワ」とは繋がっていない(ついでに言えば、「いれもの」の条件は去勢されていることにあるように思えるのだが、その点、日本の首都の方がよっぽど良い「いれもの」であり、魅力的であると私には思える。社会主義が崩壊しようと、ロシアはまったくは去勢されていないのだから)。モスクワには三日しか滞在していない人間の戯言である。

 他方、ペテルブルクは、あらゆるものが消え去らず澱として堆積しているのだろう、そうである以外にあの独特の「臭気」の発生は考えられない。その臭気が街のすべてを産み出し、その産み出されたものは、また臭気を発すべき澱として沈殿していく。それがペテルブルクという街の力なのではないだろうか。この臭気が身体に浸透し、とうの昔に押さえ込んだ青臭いものが腹の底から込み上げてくる。あの街で私は、詩人にも写真家にもなれるらしい。そんなものになれないことは私自身がよく知っている。幸い、私があの臭気に狂わされることはない。狂うのもよいかもしれないが。

 なぜ狂えないのか。それは私が、その臭気を馴化させることなく弄んでいたからだろう。私自身、文学や芸術を愛好していると同時に、あの街の「文化帝国主義的気質」に辟易していた。ロシア美術館に行っていない留学生に対して「恥ずかしくないの!?」という教師、あふれかえる自称詩人・芸術家、無批判にあの街を讃える留学生たち。うんざりだった(ただの同族嫌悪かもしれない)。「この街に育っていたら、絶対マルシュの運転手になっていた」と公言し、教師や友人をキョトンとさせていた私は、自分の軽薄さと強情さに苦笑いするしかなかった。本来ならば、このように「文化」が奨励される社会を嬉々として受け入れるべきなのかもしれない。
 でも、幻想が美しいのは、せいぜい「対」までだろ?

 これらが経済に対するルサンチマンだとしたら、日本人である妙な余裕を差し引いても、すこしやるせない。いっそ、経済の力であの文化帝国が壊れてしまうのもおもしろいと不埒に考える。その意味で、三百年祭に期待しないでもない。しかし、あの臭気はどんなことがあっても決して消えないだろう。あの街は、経済という異物を消化し、新種の澱として自らのうちに湛えるのだ。どうせ。ただ、それだけ。
 ここまで書いてきたが、これでも何度か書き直した。没にしたものは、もっともっと青臭い。あの臭気がまだ私に、まとわりついているということだろう。そして、記憶として捏造できるほどに、私のペテルブルクは未だ色褪せていない。そんな私が書けるのは、せいぜい、あの場・あの時に考えたことのみである。

 抗鬱剤としてとっておいたエルミタージュとドストエフスキイの博物館には足を踏み入れなかった。「恥ずかしいからそんなこと言っちゃダメよ!」とヴァレンチナ・ゲオルギエヴナからきつく言われているが、先生、違う、まったく逆だ。誇りをもって語るさ、あんたの街が俺をまったく退屈させなかったことを。それを見透かしてあんたも「あなたはまたここにやってくるのよ」、だろ?

(2003年2月9日記す)
*ペテルブルクに留学していた露文院生がエッセイを寄せてくれました。

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