今となっては遠い昔のことになってしまったが

今となってはすでに遠い過去のこととなり、興奮もすっかり冷めきってしまったが、2001年の9月から2002年の6月まで、モスクワ大学と早稲田大学の交換留学協定の恩恵にあずかって、私はモスクワに滞在していた。
 去年の6月、日本に「帰ってきて」、空港から電車で「家」に向かっている間、私が思ったのは、何て簡単に「帰って」こられてしまうんだろう、ということ。モスクワでの最後の数週間、正直言って「帰り」たくなかった。友だちとは、ビザの期限があるから、「帰り」の飛行機、あんまりぎりぎりって言うのはまずいよね、などと言い合って、一応「帰る」準備を進めているのであるが、心のどこかで、何で「帰る」んだろう、ここが私の住むところじゃないか、と思っていた。
 何でそんなに日本よりもロシアにいたかったのか、と言われてしまうかもしれない。実際、「帰ってきて」、向こうはどうだったの、と人に聞かれて話をすると、何て不便な、という反応が帰ってくるような話しか出てこないというのに。一例をあげると、名づけて「水問題とトイレ問題」。ロシアは日本より空気が乾燥していて、そのため洗濯物や絞ったタオルはあっという間に乾いてくれるのだが、必然的にしょっちゅう喉の渇きも覚えることになる。従って水分補給をしなければならないが、冷え性の私は、冬の間は特に水分を取ると次にトイレのことを気にしなければならない。そのトイレというのが曲者で、寮の自室のトイレを除いて、外のトイレには便座がない。大学でも、劇場でも、図書館でも。若い人ならともかく、年取って足腰が弱った人でも中腰で用を足すんだろうか?おまけに汚い。図書館なんて、写真付きの身分証明書がなければ入れず、日本の公立図書館みたいに小さな子どもが出入り自由、なんてことはないのに。

 図書館といえば、閉架式で、読みたい本を昼前に『注文』して、本が出てくるのは午後の2時過ぎ。あれには参った。寮の1階では、教科書や参考書の類を貸し出しているらしかったが、人が並んでいるときはいつも行列だった。私はいつも、あれ絶対変だよね、と横目で見ながら通り過ぎた。

 でも私はロシアでの生活が決していやにはならなかった。多分一生忘れられないだろうと思うことがある。寮の自室は水道の調子が悪く、何度か修理のおじさんに来てもらった。壊れた眼鏡にぼろぼろの作業服を着て、いかにも職人肌のびしっとした感じの人だったが、あまりにも何度も来てもらったため、そのうち寮のどこかでばったり出会うと挨拶を交わすようになった。「帰る」日が近づいてきたとき、私は何とかこのおじさんには私がここからいなくなることを伝えたいと思っていた。だが、なぜかその頃は出くわすことがなかったのである。そしたら何と「帰る」その当日に、エレベーターの中でばったり出会ったのである。私はここで言わなきゃ、と思い、拙いロシア語で、今日帰るんだ、と言った。すると、おじさんは、何も言ってくれなかったのである。この前会ったときは、ズドラーストヴィチェ!とおどけたアクセントで挨拶してくれたのに。でも聞こえていなかったわけではないと思う。というのは、そのときエレベーターにもう1 人、顔見知りのジジュールニイのおじいさんがいて、こっちは、えっ、今日帰るのか、と聞き返してきたからだ。あのとき、じっと黙って何も言ってくれなかった水道修理のおじさん、私がそう信じたいだけなのかもしれないけれど、少し悲しそうな目をしていたように思う。

恒川朝子(博士後期課程4年)
(《Вести》第20号 2003年6月1日発行 所収)

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