モスクワ滞在記 目の当りにしたロシア人の強さの秘訣

 もうかれこれ1世紀前ぐらい大昔のように感じられるが、2001年9月から2002年6月までの10ヶ月間、派遣交換留学生として心ならずもモスクワ大学に留学する機会を得た。当該派遣交換留学生の選抜試験は2000年の冬に行われたのだが、当時はロシア語とはあまり縁がなく、むしろ怨(えん)があったぐらいだったので(というのも、学部1年、2年と立て続けに「不可」なる成績を頂いていたから)、面接試験では不世出のロシア語の不出来ぶりを出し惜しみなく披露してしまい、試験官の先生の大噴火を誘因せしめてしまったことは記憶に新しい。しかし奇妙にも合格なる通達を受け、当該期間ロシアに留学せざるを得なくなったというのが事の真相である。
 
 実際、モスクワで生活してみると、未だ社会主義から資本主義への移行期のカオスが繰り広げられたり繰り広げられなかったりで、カルチャーショックどころの騒ぎではなかった。ロシア人は自分たちを天性の泥棒気質があると思い込んでいるのか、あるいはお互いを信じていないのか、物を買う時にお店では品物を手にもって見ることができず、カウンター越しにあれをくれ、これをくれといちいち言わなければならず(おかげでやたら品名に詳しくなってしまうのだが)、それを知らずに何か品物を手にもとうものなら、待ってましたと言わんばかりの鬼の形相で怒鳴り散らされるのである。こっちは客だぞと言っても、こっちなんか店員だぞ、といった始末。

 もちろん、品物を手にもって選ぶことができるスーパーマーケットなるものもあるにはあるが、他より値段が割高な上、店の入り口にはSPばりの屈強な大男がトランシーバー片手に立ちはだかり、時には身体検査もされ、店に入るとすぐ荷物を預けなければいけないといった念の入れようなのである。ちなみに、購買意欲を失わせることに関しては世界でも右に出るものはいないであろうロシアの店員は、客に対してえらく無愛想で(もちろん愛想の良い資本主義を感じさせる店員も中にはいるが)、むしろ売ってやってるんだぞとでも言いたげな傲慢さで客を鼻であしらい、細かいお金で支払おうとすればお前には売らないと声を張り上げ、かといって500ルーブル札で払おうとすると悪態をついてお前に用はないからあっちいけと咆哮する、そんな微笑ましい光景を街中でよく見かけたりもした。
 
 しかし、何よりも驚かされたのは哀れなロシアン・トイレット氏である。大学構内やその他の公共施設で獅子フン迅の活躍をされている氏は、ロシア便座窃盗協会の面々からその両腕をもがれ(便座の使途は不明)、氏の専門外の雑誌や新聞紙を口の中に押し込められ、磨かれることもなく、殺傷能力すらあろう悪臭が漂う中でいつ梗塞が起こって死ぬとも分からぬ生活を強いられており、その悲惨さは筆舌に尽し難い。

 そういった見るも無残な氏を目撃すると、耐え難き生理的欲求すら身を潜めてしまうのは、並みの人間なら至極当然であろう。しかし、驚くことにロシア人はここで人間の身体的、精神的能力の極限をいとも簡単に超えられるということを証明してくれるのである。並みの人間ならまずこの悪臭に目が染み、堰を切ったように涙が流れ出し、吐き気を催し、10秒とその場に留まることはできないであろう。それに対し、彼らはごく普通に、時には口笛すら吹きつつ、自身のミッションを成し遂げてしまうのである。氏専用紙(いわゆるトイレットペーパー)は当たり前のように盗まれているか、あるいは元々ないという状況下においても、何食わぬ顔でがさごそと鞄の中から雑誌や新聞紙を取り出し、それでミッションの後始末をしてしまうのである。

 この一連の行為はロシア人の精神力、とりわけ忍耐力の高さを示していることは言うまでもないが、これに対し、ロシア人の身体能力の高さを顕著に示しているのは、当該ミッション遂行時のスタイルである。上述通り、氏にはミッション遂行上極めて重要な役割を果たす便座が前述の協会幹部連の意向で剥ぎ取られているため、並みの人間ならまずもってmission impossibleである。しかし、彼らはここで、幅10センチあるかないかという淵にハイヒールすら乗せて屈み込み、滑らせることもなくいとも簡単に任務を遂行してしまうのである。あるいは、スポーツ科学上あと20年は不可能であろうと言われた中腰(学術名「空気椅子」)の姿勢で事を成し遂げてしまう大腿筋の異常発達した強者もごろごろいる。
 
 ここ数年、格闘技界においてロシア人の身体能力の高さが取り沙汰されており、なかでも極真のレチやPRIDEのフョードルは今現在、世界を席巻している。またスポーツ界においても、特にシンクロや新体操、フィギュアスケートなどの競技でロシア女性は永きに渡り世界のトップに君臨し続け、これからも当分その座を明け渡すことはないように思われる。なるほど、今思えば彼らの強さの秘訣は、この日常生活における生理現象のミッション遂行時のスタイルにあり、そのスタイルによって日々繰り返し事を成し遂げることが、彼らの能力を育み、驚異的なバラス感覚やほんの数ミリの誤差も出すことのない正確さを身につかせ、表現力をも覚え込ませているのだろう。

 その結果、ロシア人スポーツ選手が世界で比類なき活躍をし続け、これからも我々の目にロシアの強さを見せつけてくれるであろうし、そう期待せずにはいられないのである。

ライター 木村修一郎(修士課程1年)
(《Вести》第20号 2003年6月1日発行 所収)

NO RESPONSE TO モスクワ滞在記 目の当りにしたロシア人の強さの秘訣

Leave a Reply

Spam Protection by WP-SpamFree