カロリーナ・パヴロワの『鉱夫』をめぐって

 カロリーナ・パヴロワ(Каролина Карловина Павлова,1807-1893)のバラッド形式の作品『鉱夫(Рудокоп)』(1841)は、ある鉱山で実際に起きた落盤事故に着想を得て創作された。ドイツ・ロマン主義文学の世界では、E.T.A.ホフマンの『ファールンの鉱山』(1819)をはじめ、この出来事をモチーフにした作品をノヴァーリスやティークらも書き残している。 
 
 落盤事故とは次のようなものであった。1719年、スウェーデンのファールン鉱山で大崩落が起こった。半世紀に渉って復興作業が行われたが、その際、この事故で犠牲となった若き鉱夫の亡骸が生前の姿そのままに保存された状態で発見された。しかし、この遺体を大気中に引き出した途端、間もなく石化し、粉々に砕けてしまったのであった。
 ドイツにおいてこの出来事は、1808年に自然科学者シューベルトが発表した『自然科学の夜の側面からの眺め』のなかで言及されていたことから一般に知られるようになり、ドイツ・ロマン主義者たちの創作意欲を駆りたてた。ロシアでは、「Библиотека для чтения」誌の1834年10号のなかで『Фалунские рудокопни』と題された記事によってこの出来事が紹介された。ロシアではドイツの文学界ほど注目されなかったが、パヴロワはこの出来事に特別に興味を抱き、作品のモチーフとした。
 
 カロリーナ・パヴロワの1840年代から60年代にかけての全創作活動のなかで、この『鉱夫』という作品がどのような意味をもっていたのだろうか。そのためには彼女の全作品との関連を追究しなければならないが、早大ロシア文学会では、彼女の代表作『二重生活(Двойная жизнь)』(1848)と晩年ロシアを去る直前に綴った連作詩『ファンタスマゴーリー(Фантасмагорий)』(1856-61)の二作品との関連にスポットを当てて論じた。
 パヴロワは、創作活動をはじめる以前は、ドイツの文学作品を中心とした翻訳に着手していた。シラーをはじめ、ハイネやリュッツケルトなどの作品をロシアの文学界に紹介している。
 ドイツ・ロマン主義者の関心を引いたこの事件は、彼女にとって身近なものであったのである。『鉱夫』から30年ほど経てパヴロワが執筆した『ファンタスマゴーリー』の表題のファンタスマゴーリヤという言葉もロシアではさほど重要視されなかったと思われるが、ドイツ・ロマン主義文学のなかでは極めてポピュラーなものであった。
 
 ダイアナ・グリーンは先行研究の中で、ドイツ人の血の流れるパヴロワは、ロシア人以上にロシア人であろうとしたと指摘しているが、創作においては、ドイツ・ロマン主義的な素材や形式をロシアの文学界にに根付かせようとしていたと思われる。
このような視点から初期の作品『鉱夫』を捉えると、パヴロワにおけるドイツ・ロマン主義文学という問題が生じてくる。引いては、同時代のロシアの文壇におけるドイツ・ロマン主義の受容について顧みることにも繋がるであろう。
 さらに、『鉱夫』のバラッド形式に注目することで、代表作『二重生活』の独自の рассказ в стихах 形式の生み出された経過も辿ることができよう。ジュコフスキー、プーシキン、レールモントフらがロシアのバラッドに長きにわたる命を与えたわけだが、レールモントフ事典にあるようにレールモントフのバラッドの経験をパヴロワは『鉱夫』という作品に生かしたのである。当時ロマン主義は衰退し、バラッドの創作も下火になっていたが、あえてバラッドを創作することにより彼女独自のрассказ в стихах 形式を生み出す足がかりとしたと考えられる。
 
 19世紀半ばに創作活動を行った女性作家、詩人は、女性の社会的立場や境遇を描くことが多かった。だが、パヴロワが内容の面でも形式の面でも、詩人として多様な試みを行っていたことが『鉱夫』という作品からも窺い知ることができる。

ライター 南平かおり(博士後期課程)
(《Вести》第14号 2000年5月10日発行 所収)

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