1917-1921年のトビリシ一

チフリス[現トビリシ]は世界の美学的知覚で生きている。そのようにして過去があったし、現在もチフリスはそうだ。多くの名を呼び起こすことができ[……]、それらの名すべてを結び付けるのは芸術だ。さまざまな民族、さまざまな文化をもった人々…芸術における兄弟。[……]我らはこの新たなるインターナショナルを信じている。ここチフリスで、この建物の礎が据えられているはずだ。一G.ロバキゼ(批評家、詩人)
 
 1918年5月26日、グルジアは117年ぶりに独立国家となった。しかし、 1921年2月25日、赤軍によりトビリシが占拠され、3月19日にはソヴィエト政権が樹立。グルジアはその短い独立を終えた。首都トビリシにおけるこの僅かな時間の、しかし豊饒とした文学的状況を駆け足で素描していきたい。

 ロシア革命と内戦に伴い、ペテルブルクやモスクワのインテリゲンツィアがチェカーの手を逃れ、大量にグルジアへやってきた。このような人的流入による創造力の爆発が、「グルジアの首都をヨーロッパ文化の中心に」という意識を芽生えさせた。グルジア政府は文化活動を積極的に奨励し、1918年グルジア大学設立、コンセルヴァトリヤを再開、国家の奨学金でパリへの留学を補助し、詩人たちをも支援した。そのような中、1917年からトビリシに新しい劇場やスタジオが開かれ、多くの文学サークル・サロンが形成されていった。

 1916年にG.ロバキゼ、T.タビゼ、P.ヤシヴィリ、V.ガプリンガシヴィリ、K.ナディラゼ、S.ツィレキゼをメンバーとし、詩人サークル“青い角”が結成された。“青い角”はトビリシにおける詩人サークルの中心的な存在であり、その名称は、ノヴァーリスの「青い花」と、ワインを飲むために用いられるグルジアの伝統的食器「角」に由来する。未来派のような挑発的なマニフェスト「緒言」を発行したが、内容的に見て彼らはフランスの「呪われた詩人」たちに親近感を抱いており、トビリシをパリ(のよう)にすることを欲していた。メンバーはペテルブルクやモスクワで高等教育を受け、ロシア・シンボリズムに直接的に影響を受けている。また彼らの詩は、O.マンデリシタームやB.パステルナークによっていくつか翻訳されている。 
 また見逃せないのは、A.クルチョーヌィフ、I.テレンチエフ、ズダネーヴィチ兄弟を中心とする“未来派シンジケート”、後のグループ“41°”の活動であろう。V.マルコフの言葉を借りれば「最もアヴァンギャルドなグループ」である彼らの創作は、文学史の周縁としてのみ位置づけられるものでは決してない。この時期、自らのザウミの理論化を行っていたクルチョーヌィフは、「過去五年の全てより、この一年たくさん書いた!」と歓喜のうちに記している。その後、クルチョーヌィフはモスクワへ、I.ズダネーヴィチはパリへ、テレンチエフはペテルブルクへとトビリシから去っていく。しかし、それぞれが自らの場所で「41°」銘で書物を発行していることから、この時期の活動に対する彼らの愛着をうかがうことができるだろう。

 この時期のトビリシにはその他にも、S.ゴロデツキイが主宰していた“詩人組合”や、彼がバクーへ去った後その組織を引き継いだIU.デゲンの“経帷子”を始め、幾つかの文学サークルが存在していた。そんな詩人たちの「居場所」だったのは、1917年11月12日にデゲン、A.コロナによって開かれたカフェ「詩人のスタジオ」を前身とするキャバレー「夢酒場(ファンタスティーチェスキイ・カバチョーク)」だ。「夢酒場」は多くの詩人によって詠われているが、例えばヤシヴィリは、「野良でバッドな犬たちが/北の都を追い立てられ/そして夢酒場[……]」といった詩を捧げている。ここで思い浮かぶのはもちろん、ペテルブルクの「野良犬」だ。入場無料だった「夢酒場」に舞台はなく、その代わりに「教室」があった。そこでは1918年2月8日から「未来派普遍大学(футурвсеучбище)」が開かれ、クルチョーヌィフやI.ズダネーヴィチが講義を行った。もちろん、“41°”のメンバーだけでなく、さまざまな人間がそこで講演をした。このような、他を排除することない流派を越えた集いが、文学的豊饒をもたらしたことは想像に難くない。その成果は、さまざまな文学流派、さまざまな言語(ロシア語・グルジア語・アルメニア語など)が入り乱れ、「夢酒場」名義で出された二冊の雑誌に結実する。

 少し時代は下るが、例えば、映画をドミナントな芸術と考え、フォルマリズム文学理論などを視野に入れつつ攻撃的な文学活動を行ったサークル“H2SO4”などを含め、この時期のトビリシには他にも興味深いサークルが存在している。これらは恐らく、短命に終わったからこそ輝きをはなっているのであろう。しかし、そうだとしても魅惑的であることに変わりないこのトビリシの、せめてその当時の「ファンタスティックな」雰囲気を、この短い素描の中で伝えることができていたら幸いである。                                    

ライター 八木君人(博士後期課程1年)
2003年7月5日 於 文学部39号館第4会議室

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