ブブノワ先生・生誕130周年に関する新聞記事(『レスプブリカ・アブハジア』紙)

昨年の2016年は、かつて露文科で教鞭をとられたワルワーラ・ブブノワ先生(1886-1983)の生誕130周年の年でした。
露文科では1924―1937年、戦後は1946年から1958年にソ連に帰国するまで教えられました。

当時の教え子のひとりである神馬喜久弥氏(1957年露文卒業)から、『レスプブリカ・アブハジア』紙に掲載された記事「ワルワーラ・ブブノワ生誕130周年――画家の思い出」をご紹介いただきました。

そこで、2016年度秋期の授業「ロシア語を読む2(文学作品に挑戦)」(担当:神岡)の履修生の有志が、この記事の翻訳に挑戦しました。

以下、新聞記事全文を掲載します。

 

「ワルワーラ・ブブノワ生誕130周年――画家の思い出」(2016年5月24日)

5月17日に画家のワルワーラ・ドミートリエヴナ・ブブノワの130回目の誕生日がやってきた。彼女の人生と芸術活動は、二人の姉――ピアニストのマリヤとバイオリニストのアンナ――と同じように、アブハジアの文化とは切っても切れない繋がりがあった。姉マリヤは、スフミの音楽学校で創立当初から働いていた。

1958年、すでに才能があり著名であった画家のワルワーラ・ブブノワは、姉マリヤの住むスフミに、日本から移り住んだ。多くの点で日本を思い起こさせるアブハジアに、彼女は魅了された。この地で、画家は素晴らしい絵画をいくつも描いた。『スフミの海岸』、『アブハジアの家』、『秋の花々』、『冬の海』、『スフミ、夕暮れ』、『海で遊ぶ人々』、『ヴェルフニャヤ・エシェラ村』、スフミの人々の肖像画などである。美術史家たちは、ブブノワの最も輝かしい創作活動の時期がアブハジアと関係しているということを指摘している。ここで彼女ははじめて水彩画を描き、活動の最盛期を迎えていた。75歳でこの新しい技法を取り入れはじめ、見事にうまくいった。彼女の作品は、ロシア、日本、アブハジアの美術館に収蔵されている。

アブハジアにおいてブブノワ姉妹の生涯や芸術活動を世に広めようと心血を注いだのは、ブブノワ姉妹博物館の館長であるアザ・アルグンであった。私たちは彼女のことを今でもおぼえている。

作家のジュマ・アフバは次のように話す。「ワルワーラさんは、生活と人々を愛していました。また、人々もそれを感じ取り、彼女に惹かれていたのです。彼女のまわりにはいつもたくさんの人がいました。若者も含め、スフミの人々は彼女に会いにやってきては、長いこと、興味の尽きないお話に花を咲かせたものです。アブハジアに来た際には、アレクサンドル・トワルドフスキー、コンスタンチン・シーモノフ、ファジーリ・イスカンデル、ゲオルギー・グーリアが彼女のもとを訪れたものです。私にとっても、この素晴らしい女性との交流は今日まで大切なものです。私はよく彼女の家に顔をだし、時々二人で海岸を散歩したものです。長い付き合いのなかで、日本の作家や美術史家たちが彼女について述べていたように、彼女に尊敬と称賛が向けられるのを目の当たりにしてきました。彼女はスフミを第二の故郷と思っていたのです」。

「彼女は、自身の才能の秘密を次のように明かしています。『探究と成功――それは異なる概念です。私は今、再び変化し、新しく見て表現しなければいけないと感じています。描いて、描き続けています。その後、新しいものと古いもの、今日と昨日を比べるのです。そして、長年の模索の中で何も達成できておらず、その場で足踏みしているだけのように感じるのです。探せど探せど、見つけ出せないものですね』。これは、1978年に『ソヴィエトのアブハジア』紙に発表されたスタニスラフ・ラコブの記事「時間の感覚」からの引用です」。

「ワルワーラさんから贈られた画のうちの一枚は」と、アフバは続けます。「かつて私が書いた作品と関わりがあります。私はある時、アブハジア自治共和国閣僚会議議長のA.サクワレリゼがワルワーラさんを支援するという約束に元気づけられ、彼女を説得して彼のもとへ向かったことがあります。彼女は自身の傑作の中の一枚に署名し、私たちはレセプションへと急いだのです。ところがサクワレリゼはワルワーラさんを見ると、軽蔑したように、彼女には分からないグルジア語でこう言いました。『君はいったい誰を連れて来たんだね! 彼女が画家だっていうのかい! 』 と 」。

「電話が鳴りはじめました。しばらくサクワレリゼが話している間、ワルワーラさんはもちろん彼の態度には気づいていたようで、私にこう囁きました。『彼に絵を贈るのはやめましょうか? 見て、何という目をしているのかしら、彼! 』 帰途につくと、ワルワーラさんは私にこの絵をくれたのです。そしてこう言いました。『私たちが彼に絵を贈らなくてよかったわね。これはあなたが大事に持っていてね。この絵はあなたにとっていい思い出になるでしょう』。 他人宛てのサインのあるこの絵は、グルジア・アブハジア戦争の時に、占領軍が私の家のギャラリーを破壊するまでは、家に掛かっていました。もしかしたら、この絵は無事で、どこかで見つかるかもしれません」。

ワルワーラ・ドミートリィエヴナは1983年に亡くなり、スフミのミハイロフスコエ墓地の姉たちの隣に葬られた。ブブノワ三姉妹の思い出を、アブハジアはいつまでも忘れないだろう。

この記事が印刷の準備に入っていた時、私は、アブハジア芸術家同盟の中央展覧会ホールでワルワーラ・ブブノワの生誕130周年を祝う展覧会が開催されていることを知った。今まで彼女の絵画をアルバムの中でしか見たことがなかった人やはじめて見る人たちにとって、新しい発見だっただろう。一堂に会したこの偉大な画家の作品は、驚くべき魅力をたたえ、魂を揺さぶるような、完全な世界を内包している。そして、この魔法のようでいて、まったく現実のような世界には、アブハジア、ロシア、日本という三つの国の美しさが反映されているのだ。展覧会を訪れる人々はそれぞれ、ここで自身の魂が欲する何かを見つけ出したように思われる。私もまた見つけ出した。それは『スフミの海岸』と『日本の白樺』である。
レイラ・パチュリヤ

翻訳:金丸駿(露文コース2年)、高畠心(露文コース2年)、神岡理恵子(担当教員)

なお、記事の原文はこちらをご覧ください。

 

 

 

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