サンクト・ペテルブルク留学体験記(2015年秋〜)

サンクト・ペテルブルクからも、露文生、島根朝樺さんのレポートをお届けします。

 

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Здравствуйте! 露文三年、サンクトペテルブルク留学中の島根朝樺です。帰国まで残り一か月を切った段階で、このレポートを書いています。

留学を決心した理由や、留学前に準備したことに関してみなさんにお伝えできるようなことは特にありません。「ロシアに行かねば」という強い思いに駆られてしまい、気付いたらペテルブルクに来ていたとでもいいましょうか。では早速、こちらでの生活や勉強について書いていきたいと思います。

住まい

サンクトペテルブルクの私費留学生は大学寮に住まわせてもらえないため、ペテルブルク市北端の地域にあるアパート・ホテルで部屋を借りて生活しています。ランクは一番下の部屋ですが、二人暮らしに丁度良いくらいの広さがあります。(実際、ペテルブルクに来てから知り合った日本人女子学生と四か月の間ルームシェアをしていました。)部屋の鍵が閉まらなくなったり、キッチンが突然使えなくなったり、机の上にはめ込んである電気が落ちてきたりしましたが、基本的には快適です。気になる通学時間ですが、大学まで片道1時間以上かかります。これは家が遠いことより、大学の最寄り駅が工事で閉鎖されているのが主な原因のようです。来年度の留学生は綺麗になったワシリエオストロフスカヤ駅を使えるはず。羨ましい。

アパートのエレベーターでロシアのおばちゃんに「旧正月おめでとう!食べなさい!」とありがたくも押し付けられたセーヴェルのケーキ

アパートのエレベーターでロシアのおばちゃんに「旧正月おめでとう!食べなさい!」とありがたくも押し付けられたセーヴェルのケーキ

 

授業

9月1日の夜こちらへ到着し、翌日にはクラス分けテストを受け、その次の日から授業に通い始めました。先輩方のレポートにもある通り、すでに始まっているクラスの中にいきなりポンと入れられるので、最初はかなり苦労します。当然ながら文法用語も休憩時間や宿題の指示も全部ロシア語。多くの留学生がそれまでの不勉強を後悔する瞬間だと思われます。まあ、そのうち嫌でも耳が慣れてきて分かるようになりますが……。もし、クラスが気に入らなかったり、難しすぎたり、逆により高いレベルの授業を受けたくなったという場合は、申請してクラスを変えてもらえます。私はずっと同じクラスにいましたが、生徒は常に出たり入ったりで変わり続ける上に、あるとき突然教師と時間割が全変更になったりもしたので、一年間同じクラスにいたという感じはしませんでした。授業は月曜から金曜の一日二コマずつで、文法・会話・読解に分かれています。授業内容も宿題の量も成績の付け方も、先生によって様々です。私のクラスでは、事務所に嘆願書を出して自分たちに合わないと思った教師を変えてもらったこともあります。

クラスメイトはアジアからの留学生が多く、やはり大半が中国人です。いま私のクラスには他に日本人がいないので、休憩時間もロシア語で話すほかありません。実践の機会に恵まれてありがたいことです。

休日

劇場でのオペラ・バレエ鑑賞はもちろん、ネフスキー大通り、エルミタージュ美術館、ロシア美術館、カザン寺院、血の上の救世主教会、イサク聖堂、ペトロパヴロフスク要塞など街の中心部だけでも充分楽しめるサンクトペテルブルクですが、休日は少し足を延ばしてペテルゴフ、プーシキン、パーヴロフスクなど郊外で散歩するのもよい気分転換と運動になります。エルミタージュ美術館の巨大なことは有名ですが、こういった郊外の公園がひたすらにだだっ広いこと、そして老いも若きもロシア人の足が非常に逞しいことには驚かされました。体力に自信のない方は、ロシア旅行・留学の前に脚力を鍛えておいたほうがいいかもしれません。ひどい筋肉痛になります。

この街から国外旅行するなら、例えばフィンランド首都のヘルシンキとエストニア首都のタリンは、夜間バスで6,7時間あれば行けます。週末にぶらっとロシアを出てみるのも素晴らしい刺激になりました。バルト三国の観光地ではロシア語が通じるところもあります。

ペテルゴフの噴水

ペテルゴフの噴水

 

気候

留学生のクラスは一年中ノンストップで授業をしているので、まとまった休暇は年末年始の2週間のみ。せっかくの休暇、満喫するぞ!と意気込んだはいいものの、初めて体験する-20度の世界に耐えられなくて、この時期だけは体を壊しがちでした……。運が悪いことに、この年は十年だか二十年だかに一度という大寒波が来ていたようです。それでも友達に誘われ、人生で初めて(そして最後かもしれない)アイススケートにチャレンジしました。スケートリンクは-11℃なのにリンクに入った瞬間「暖かい!?」と感じてしまったのは、その日戸外の気温が-21℃だったせいです。次の日風邪がぶり返したことは言うまでもありません。

しかし、極寒の時期は短いですし、コートとブーツがしっかりしていれば意外と大丈夫なものです。むしろ、一年住むとなると、暑さ寒さよりも極夜・白夜のほうがよほど大きな問題になるかと思います。12月・1月は一日のほとんどが暗くて憂鬱。朝は暗くて起きられません。逆に5月・6月は明るすぎで全然眠れません。もともと寝つきの悪い人にはかなりキツイと思います。これにはペテルブルクに長く住むで人も悩まされることがあるようなので、どうしようもないです。愛用のアイマスクがあれば持参しましょう。

5月中旬。21時半でもこのくらい明るいです

5月中旬。21時半でもこのくらい明るいです

 

ロシア人と交流

留学で何より面白い経験となったのは、やはりというか、日本語と日本文化を勉強しているロシア人たちとの交流です。

サンクトペテルブルク大学の日本学科の授業に参加するのは友達を作る良いチャンスになります(先述の通り、クラスはアジア人ばかりなのでロシア人と会話する機会を作る必要があります)。また、大学生以外でも、日本語を勉強しているもしくは勉強したい、という人は一定数います。私は大学の先生の紹介で知り合った15歳の女の子に「あいうえお」から教えたこともありますし、日本語スピーチコンテストの会場に向かう途中で迷子になったところを助けてくれたロシア人と仲良くなったこともあります。SNSの発達により趣味・興味の共通する人と出会いやすくなった現代、留学せずともネイティブスピーカーとスカイプ通話で会話の練習をすることも可能になりました。語学のためにわざわざ現地へ赴く必要が薄くなったのは確かですが、こういったリアルの生活ならではの出会いに恵まれると、「わざわざロシアに来てよかった!」としみじみ思います。

先日、センナヤ広場近くにあるタイヤキ・カフェに立ち寄った際、偶然居合わせたそこの店長さんと知り合いました。彼女は日本語が話せるものの日本に行ったことはなく、インターネットでタイヤキの作り方を研究したそうです。タイヤキの再現度が高いので驚かされました。もうすぐ仕事の用事で初めて日本に行けるということを嬉しそうに語ってくれました。彼女の友人は、ペテルブルクの別の場所でタコヤキ・カフェを営んでいるそうです。日本のストリートフードはロシア人の目にどう映っているのでしょうか……?

 

苦労

さて、ロシア留学経験者に求められがちなトンデモ苦労話ですが…

ビザ更新の際、銀行側の手違いで余計に払わされた1000ルーブルを返してもらえなかったこと以外、特に思い当たりません。

というのも、私はこの留学以前に日本から出たことがないため、カルチャーショックや不便なことに出くわしても、それが「ロシア独特のもの」なのか「日本以外の国ではあたりまえのこと」なのか判断できないからです。スリに遭った友人は多いですが、私自信はまだ幸いにも被害に遭っていません。ただあの1000ルーブルのことは、今思い出しても腹が立ちます。

 

おまけ

頂きもののВаренье(イチゴジャムのようなもの)の写真です。Для  Асакиと書いてありますね。私の名前Асакаはаで終わるので、女性名詞として容赦なく格変化されます。Асаки,Асаке,Асаку……と。この場合は生格なのでまだいいものの、造格で“Я с Асакой”などと言われてしまうと、もうこれは自分の名前だという感じがしません(笑)。а,яで終わる名前をお持ちの方、普段から自分の名前も変化させてみたらいかがでしょう。それに慣れてきたころにはロシア語が上達していると思いますよ。

ロシアのおばあちゃんお手製ヴァレーニエ。美味しい!

ロシアのおばあちゃんお手製ヴァレーニエ。美味しい!

 

最後に。まとまりのつかないレポートでしたが、読んで下さったみなさま、ありがとうございました。そして支えてくれた家族、背中を押してくれた友人たちとお世話になった先生方に、この場を借りてお礼を申し上げます。帰国までのあと一か月の間、やり残したことをどれだけ減らせるか挑戦していきたいと思います。До встречи!

 

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