インタビュー第4回・ジェーアイシー旅行センター株式会社 業務主任 百瀬智佳子さん

インタビュー第4回

ジェーアイシー旅行センター株式会社 業務主任 百瀬智佳子さん(1995年卒)

■ロシア語って美しい――出会いは高校生のときでした。


――本日はお忙しい中、ありがとうございます。早速ですが、百瀬さんは何年のご卒業ですか? 学生時代はちょうどソ連崩壊の頃かと思いますが。

卒業は1995年です。2年生か3年生のときに早稲田大学の短期留学プログラムでモスクワのプーシキン大学に行きましたが、あの時はもうロシアになっていました。プログラム自体が初めての年でした。大学に入った年がちょうどソ連崩壊の年で、大学時代はロシアに切り替わった直後にあたりますね。

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――その頃はまだロシアは大変なときですよね?

そうですね。ただ、特に危険ということはなかったです。今よりももっと、不便なことがおもしろい時代という感じでした。あまり物がなくて、スーパーなどもどんよりと暗くて(笑)。購入するシステムも違いましたよね。先にお金を払って、引換券みたいなものをもらって。外資系のスーパーが入ってき始めてはいましたが、まだ数は少なかったです。やたらと広い建物の中で物が売られていて、がらんとして暗い感じでした。

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――大学に入られたときからロシアには興味をお持ちだったのですか?

ロシアには子どもの頃から興味はありました。小学生の時かな。その頃はもちろんソ連だったんですが、ときどきテレビなどで見ると、ソ連の人は何を買うにもひどく寒い中で、長い列を作って買わねばならないとか、何かまずいことを言うとすぐに牢屋に放り込まれてしまうらしいといった話が耳に入ってくる。そんな話をいろいろと聞くにつけ、田舎の子どもだった私には、そんな国があることが信じられなかったんですよね。なのに、テレビカメラを向けられた人たちは「私たちの国は素晴らしい」とか言っていて…、そんなふうにして国が存在していることがすごく不思議だったんです。まだ世界のことはよく分からないながらも、日本人が喜ぶことをアメリカ人でも喜ぶのに、あの国の人はどうして私たちが喜んでいるもので喜ばないのだろう、価値観が全然違うのかな?と、なんとなく興味を持っていました。
それから私は昔から音楽が好きだったんですが、プロコフィエフとか、そういう文化の面でもソ連の名が出てきたりして、そちらの方面から惹かれるところもありました。そういうことが蓄積されていって、ロシアっておもしろいなって思ったんです。

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――その頃からロシア語にも興味は感じていらっしゃいましたか?

高校に入った頃くらいに、インタビューかなにかでロシア人が話しているのを聞いて、ロシア語ってすごくきれいだなと思ったんです、巻き舌も好きなので(笑)。それで、一度だけNHKのラジオ講座を聞いてみたんですよ。4月だったか10月だったか、ちょうど初回の講座があるというのでどういう感じなのかなと思って、テキストも買わず、耳で聞くだけ聞いてみよう、と。
そうしたら、初回だからアルファベットから始まるんですよね、、、って。ああ、とがあるんだなと思いながら聞いていたら、Йっていうのが出てきてびっくりしました(笑)。アルファベットに「イークラトカヤ」っていうのがあるんだって驚いていたら、次に「ミャーフキイズナーク」って言うんですよ、ええ!なにそれ?! 一文字でそんな発音をするのって思ったんですね。なんて不思議な言葉だろうと思いました。ロシア語はいちばん難しい言語だって言われているのは、これかと勝手に納得して(笑)、ますます謎めいた魅力を感じたんです。実際に始めてみたらただの勘違いだったんですけど、大学に入るまではずっと、ロシア語のアルファベットはすごいって思っていました。それでやってみたいなと。
それとは別に、大学を選ぶ際に、高校がバンカラな雰囲気のところだったので、大学もそういうところがいいなと思い早稲田に入りたいと思いました。だからロシア文学がすごく好きという感じではなくて、「早稲田」と「ロシア語」というので探してみたら、おお、なんとここにロシア文学専修があるではないかと(笑)。それで早稲田の文学部を受けました。他はすべて法学部を受験したんですよ、ロシア語への興味がなければ、文学を学ぶことはなかったと思います。ですので入学したときから、二年生になったらロシア文学専修に行こうと決めていました。

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――大学一年生になって、実際にロシア語を本格的に勉強し始めて、期待通り面白いと思いましたか?

美しいと思いましたね。イークラトカヤやミャーフキイズナークの謎も解けたし(笑)。とにかくロシア語は発音も、リズム感も、ついでに文字も、とても美しい言語だなと。それは期待していた以上に。私は、大学時代はたくさん遊びましたし、勉強も真面目とは言えない部分も多かったし、ロシア語をものにできたかというと、そういうわけでもないんですけれど。

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■さまざまな世界への扉を開いた大学時代


――大学時代に印象的だった先生や授業を教えていただけますか?

高野先生にはお世話になりました。個人的なお話も楽しかったですし、授業も好きでした。学生時代には授業の内容というよりも、なぜか先生方の授業のやり方に興味をもっていました。井桁先生が学生のコメントを集めてらっしゃったりする授業を興味深く感じたりしていました。一般教養も、珍しい授業が多くてワクワクしました。当初は字づらで選んだ「光と色彩」の授業を受けたら面白くて。その興味が続いたので、数年もたってからですが色彩検定を受けて知識を深め、それがまた仕事でパンフレットを作るのに役立つことになったんです。どこで播いた種が何に役立つかわからないものです。
でも、ロシア文学専修、というところでは自分でも何をしたらよいのか、よくつかみきれていなかったと思います。「ロシア文学」というけれど、学部生のときには、作品を熟読できるほどにロシア語ができるわけではないでしょう。じゃあ日本語に翻訳されているものを読んで文学研究するのかというと、それにもやや違和感がありました。微妙な立ち位置にいる気がしました。ロシア語も少しは分かるんだけど、文学を理解できるほどには分からない、だけどここはロシア文学専修というところだし…と。「ロシア(語)」の「文学」の「研究」へのアクセスの仕方がわからなくて、戸惑っていた気がします。今思えば、「専修」という名ではあったけれど、いろんな間口を広げてとりあえず基礎だけでも出来ればよい、というのが学部生だったのかもしれません。
ロシア語の授業じたいは分かりやすくて楽しかったです、当時はラフーボ先生ほかの方々でしたが、ロシア人の先生にじかに本物の発音で教わることができるんだというのが嬉しかったのを覚えています。

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――学生の戸惑いが見えてきて私自身たいへん勉強になります。今は、ロシア語が好き、語学をちゃんとやりたいという学生が多いように思います。

それはいいことですよね。ロシアの何を好きになったとしても語学は役立ちますから。文学だけじゃなくていろいろな面でロシアについて知るというのは良いことだと思います。
2週間の短期留学にいったときにも、教会建築がおもしろいと興味を持ち、建築の図面を買ってきたりしました。もともと頭の中だけでロシアというものに漠然と興味を持っていたのが、実際にさまざまな分野で具体的に興味を持てるようになり、世界が広がったのが大学時代だったと思います。

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――学生時代に、ロシア語以外で何か夢中になったことはありますか?

音楽のサークルに入っていました、音楽は聴くのも自分でやるのも好きですね。
それから、旅行が好きで、学生時代はお金もなかったので海外にはあまり行けなかったのですが、国内はよく旅しました。ユースホステルを泊まり歩いて。私は長野県の出身なのですが、それまでは家から学校までだけが活動範囲。それが、大学に入って一人暮らしになると、お金をためたら自分で電車に乗ってどこかに行くことができるので楽しかったです。自分の立ち位置を変えることができる、気ままにどこまでも歩いて行ける、そのことが単純に嬉しかった。日本のあちこちのユースホステルに泊まりました。

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――なるほど、今のお仕事にもつながっているわけですね。ロシアに行かれたのは短期留学が初めてのご経験ですか?

そうです、初めてのロシアでした。露文生として過ごした中でいちばん思い出に残る出来事は何かと聞かれたら、あの2週間ですね。もとが旅好きですので、何をやっても見ても珍しくて、興奮していました。品不足の時代なので、帰国前には不要になった日用品を市場に持って行って、土産物と物々交換の交渉をしてみたりして。楽しかったですよ。帰国時には友人と数人で離団してシベリア鉄道にも乗りました。また、プーシキン大学の短期留学コースでは、時折エクスカーションがあって、郊外観光に連れて行ってくれたりしたんです。それに参加して、短い期間でしたがいろんな場所を訪れることができました。

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■情熱でつかんだ仕事、そして現在


――次にお仕事のことをお聞きしたいのですが、卒業されてすぐに今のお仕事に就かれたのですか?

そうです。最初はアルバイトでした。私の世代は就職氷河期に入った頃で、男子はまだ良かったのですが、女子の就職状況はシビアになってきていました。そうしたら、ハバロフスクのラジオ局で募集をしているという話が来て。早稲田の卒業生がよく行っていましたよね。あそこで二人募集しているということでした。友人が一人、先に応募をして、私はかなりあとに応募をしました。そのまま返事が来ないのですが、二人募集に二人だけ応募だったというから大丈夫かな~と思っていたら、二月の終わりくらいになって、諸般の都合で一人しか雇えなくなりましたという知らせが来ました。それで先に手を挙げてた人が行きましょうということになって。
それで私のほうは、さて、どうしようかなと。でも、せっかくだからロシアに関わることがしたいと思い、NHKのロシア語講座のテキストの裏に、ロシア関係の会社が広告を載せていますよね、そこに片端から電話を掛けました。そして、もちろんアルバイトでかまいません、ただでもいいんですって言ったんです。内心は、ただ働きさせるわけはないだろうと思いつつ、口では、「ただでもいいのでぜひよろしくお願いします」と言っていたら、本当に偶然に今の会社が、アルバイトでもいいんだったら来てみるかと言ってくれました。いまどきはもうこんな話はないですよね。アルバイトで何年か勤めてから正社員になりました。それからずっと今の会社で働いています。

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――ひとつのお仕事を続けていらして、転職などを考えたことはありますか?

仕事をやっていると、基本的にその仕事が好きであってもモチベーションの高低というのがあります。気づけば年齢も重ねていたりして、このまま続けていていいのだろうかと思う時も確かにありました。でも、つきあい先のロシアという国が変動期に当たっていて、その一方で、何より自社の組織やあり方が変化していく時期でもあり、自分の仕事の内容が次々に変わっていきました。同じ場所にいても変化が多々あったんです。
実は当社は、昔から今のように旅行業が大きなウエイトを占めていたわけではなく、交流団体としての面が強かったんです。例えば、ロシア料理会やパーティーを開催したりしていました。ロシア人の先生をお呼びして、公民館とか区の施設などを借りたりして。そういう仕事をやっていたら、今度は経理関係の仕事をすることになり、旅行の市場も伸び、というように、自分の担当する業務がどんどん変わっていきました。私は、なにかこう目新しい仕事をもらうと、おもしろがってやり始めてしまうので、けっこう楽しくずっとここにいます。

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――今のご担当は営業ですか?

業務があまり明確には分かれていないのですが、現在は個人旅行をおもに担当しています。個人での旅行を計画されているお客様とお話をして、見積もりと手配をする担当です。また、現地のパートナー会社と交渉をしたり、取り扱うホテルを選択して料金のリストを作成したりする、仕入のような業務もおもに私の仕事です。

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――百瀬さんご自身はロシアに行かれることは多いのですか?

グループ旅行の担当ではないので添乗経験は少ないです。ミーティングをするとか、現地の様子を見るために行くということが過去には多かったです。仕事以外でも、プライベートでも行っていましたが、出産後は控えています。行かねばならないと言われましたら検討せねばなりませんが、自らすすんでは考えていません。

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――すると日本でお仕事をなさっていてロシア語をお使いになる機会はありますか?

私の業務の場合は、ロシア語の会話力は必ずしも重要ではないんです。旅行業ですから、まずは旅行を提供する、サービス業です。私のスキルでは、ロシア人とやりとりするとなると、ロシア語だと心もとなく、英語のほうが比較的正確に意思疎通ができるので、今はおもに英語を使っています。仕事ですから、お客様に安心感を与える、パートナーとのやりとりに間違いがない、というのがいちばん大事だと思っています。どうしてもロシア語でというお客様ならば、堪能なスタッフに代わってもらうこともあります。
それでも90年代は、お客様が現地で送迎の人と会えないというようなときにはロシア語で電話を掛けたりもしていました。しかし近頃は現地パートナーも皆英語が達者。あちら側の英語力と私のロシア語力、高い方を使うことにしていたところ、近頃は専ら英語になっている、という状況です。
もちろん今でもロシア語を使うことはありますよ。例えば、私は料金リストなどを作成していますので、ロシアのwebサイトをよく参照します。ロシア語の頁しかないサイトもたくさんあって、そういうときにロシア語でざっくり読んで情報を収集することができるし、タイピングもできますから重宝しています。

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――これまでなさったお仕事の中で、百瀬さんご自身にとっての大きな業績と自負されているものを教えていただけますか?

コーカサス地域、アゼルバイジャンとかグルジアとかですが、あの地域は日本では手配をする会社がなかなかなかったんです。とにかく危険だと言われている期間が長く、私たちの会社でもずっと手配地域ではありませんでした。
そこで、私は自費でコーカサスに行ってきまして、ホテルなどのリストや資料を作るのが私の担当業務ですから、勝手に入れてしまってネタを揃えて、から、会社の許可をとって手配を始めたということがあります。やはりインフラの面など少し心配な点もありました。ホテルでトイレも含めて水が止まってしまうとか。そういうのを自分の目で見て確かめてきて、ここだったら大丈夫だろうというホテルを選んで取り扱うことにしました。日本の会社の中では、きわめて早くコーカサス地域の手配を始めたはずです。でも大きな業績というほどのものではないですね(笑)。
旅行会社としての能力も規模も拡大していった時期、かなりスタッフ数が少ないところから増えて行きましたので、その成長の何かの役にはたてていたのではないかと思います。これも業績ではなく、がむしゃらに働いていたなあという若き日のよき思い出です(笑)

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――働くということ、仕事そのものは百瀬さんの人生ではどういう位置を占めていますか?

相当に大きな位置です。まず、かなり好きなんです、働くことじたいが。どんな仕事でも実際にやっていくといろんな側面がありますよね。今の仕事でも、人との関わりあり、モノ作りあり、といろいろな要素があって、そのことを本当に面白く感じています。ただし、今は自分にとっては、家に帰るべき時間になったら帰るということもとても大切ですけれど。仕事と家庭とを両立させることを第一に考えているので、時間というものを非常に意識しています。
なぜかというと、意識しないと、仕事の手が止まらないんです。やりたいことはあるし、職場の居心地もいいし、子どもができる前は徹夜も平気でよくやっていたんですよ。今は時短勤務をさせていただいているので、熱中していて気付くともうこんな時間! 本当に申し訳ないのですが、周りのスタッフにも協力をしていただいているおかげで、なんとか日々をこなしています。

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――今日お話を聞いていると、働くことが好きだというのがたいへんよく伝わってきます。これからお仕事を続けていく中で、やりたいことや夢を聞かせていただけますか?

「ロシア、良かった!」とか、「また行きたい」というお話を聞くとやっぱり嬉しいので、今後もそういう旅のお手伝いをしていきたいと思っています。個人旅行のご相談、楽しいんですよ。旅行って、まず、お金がかかるじゃないですか、でもお金のある方には時間がなかったりして。特に海外旅行というのは何泊もしますから、お金やら時間が絶対に必要で…それで皆さんとても真剣にあれこれお考えになるわけですよね。
ロシアに行く、という切り口だけが共通で、いろんなお客様が私の前にいらっしゃいます。そこから、この方はこういう職業の方だから、ご年齢は、などその方の属性や個性を汲みながら、その目的だったらこういうホテルがいいですよって、お話しながらプランを作り上げていく。その過程が好きなんです。個人旅行は昔からずっと手掛けていますが少しも飽きることがなくて、お客様のお話を伺うのが本当に楽しいです。
逆に、この仕事ですごくしんどいと思うのは、最後にサービスを提供するのが私たち自身ではないということです。いくら一生懸命自分の仕事をやっても、ロシア側の現地のパートナーをいくら一生懸命選んでも、ホテルの従業員が失礼な人だと、その人の旅行の思い出全体が台無しになってしまいます。ホテルのカウンターまで私がずっとついていきたいと思うくらいです。
つまり最終的にお客様に接するのは現地の人なので、なるべく信頼をおける人々を選ぶのも私たちの役目なのですが、なかなか大変ですね。十年以上この仕事をやっていて、手配を忘れていたことなど一度もないんですよ。でも年に何回かは、送迎が来ていなかったとかいうことが起きてしまう。私たちの大切なお客様に何すんだってちょっと乱暴な思いが喉元まで込み上がってきます。でも、相手も大事なパートナーですから、まず自分の気持ちを落ち着け、適切な言葉を選んでクレームをどんどんあげていって、向こうの質を高めるよう努めています。ロシアと接点を持ち続けられる今の立ち位置で、より多くの方が、より楽しく、安心して旅行をできるようにしていきたいと思っています。

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■後輩たちへ――日々世の中にアンテナを!


――露文の先輩として、ロシア好きの先輩として、そして社会人として今の学生たちに何かアドバイスをいただけますか?

社会人になる前にいろいろなものや人を「職業」という観点から見て、日々町を歩くときにも世の中にアンテナを張っているとよいかなと思います。このボールペン一本でも、手元に来るまでにどれだけ多くの仕事人の手を経ているのだろう、というような。
私自身は確かに、仕事を得る時に「ロシア」にこだわった結果、旅行業界にずっといることになったわけです。ですが、経済のグローバル化が進む昨今では、商社やメーカーに入った結果として全く興味もなかったロシアに赴任を命じられる方や、新たな市場のひとつとしてロシアへの視察を希望される方も多くいらっしゃいます。今にして思えば、ロシアとのかかわりというのは、その気があれば、どんな仕事についても自分自身では続けていけるのではないかと。旅行に行ってもいいし、ロシア語の勉強を続けていってもいいし。ロシアとの関係は私的な部分でも続けていくことができるので、それとは離れた視点で自分が何をしたいか、どんな職業がいいのかと広く考えてみられるとよいと思います。もしかしたら、ずっと後になって、意外なところで、ロシアと仕事上の接点が生まれることもあるかもしれませんね。

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――大学に入る前から現在までずっと、ロシアを愛情をこめて、それでいてクールにご覧になっているという感がありますね。

好きだからつながっていたいというのはありますね。つながっていることが嬉しい、好きってそういうことじゃないですか、一緒にいることじたいが楽しいって。私はあまり凝るタチではないので、そういうくらいの感覚でいます。
でも、ロシアをもっととことん追求したいと思うならば、昔よりずっと行きやすくなっているのですし、留学でも旅行でも、とにかく行ってみられるとよいと思います。物もあるし、生活も改善されている、電話もインターネットも通じる、以前とまったく違いますから、自分の中の垣根を取り払ってなるべく出ていかれたらいいんじゃないかと思っています。

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――はい、学生たちにもそのように伝えたいと思います。今日は本当にありがとうございました。

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